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    瞑想と実戦
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        8日の合同稽古にて 白鳳流 寝屋川支部長 H師範代のレクチャー。ご本人よりレクチャーに付随した詳細レジュメをいただきましたので、以下に写します。(さらにコメント欄にてご本人より追記いただきました!ぜひクリックを。


       瞑想と実戦

       合気武道は実戦で使用できるか否か、この問いに対し実際使用不可能じゃないのか?と疑問に思ったことはありませんか。
       実戦でならした武田惣角(大東流・中興の祖)は嘘でしょうか?侍が命がけで造った技は飾りでしょうか?
       
       その答えの一端は瞑想にあるといったら皆さんは驚かれることでしょう。
       三つの先(せん)、枕を押さえる、機、きざし、これら戦闘において使用する心法は瞑想により強化されます。

       通常、先の先、先々の先、後の先という高野佐三郎氏の剣道教本に出てくる言葉ですが、読み手の解釈か、氏の説明の簡略化かわかりませんが、どうやらこの言葉は実体動作としての先(せん)と心理の動きが混ぜて解釈されている模様です。(しかも数は3となっているので始末が悪い。)

       そこでわかり易いように宮本武蔵の五輪の書 火の巻より抜粋、こちらは実体動作にしぼって解説しています。そして心理面は 枕を押さえる という表現をしています。
       
       これら心、体において先んずるということ無しには実戦は語れません。
      初伝の一カ条からの118カ条は、侍の先(せん) の集大成ですが、先をとる技は剣のほうにたくさんあります。そして、機やきざし をしる術は瞑想のなかにあります。

       惣角師はいかに侍の先(せん)の柔術を使用したか?
      師「腹をついてみろ、にしゃのような腰抜けにつけるとは思えんがな(笑)」
      敵「おちょくるなよ(怒)」「えい」
      という感じです。

       つまり、初伝の柔術を使用するにあたって心理戦ありきなのです。ある種の同調現象をおこし技の種類タイミングを限定するのです。これは武の極意(例えば無想剣)でなく、一般的戦略です。実はこの手のしかけは種類、レベル様々ですが十分練れていれば達人でなくても勝負になります。
       これを称して型にはめる、といいます。
       
       自分の特性と相手の特性を考え戦法を用意しておきましょう。惣角師は怒りを自分の烈火の心とシンクロさせ攻撃の単純化をはかったのでしょう。

       植芝師(合気道創始者・惣角師の弟子)は畏れをいだかせ力を発揮できないよう誘導していたので、相手は試合前に飲まれていたことでしょう。また、それの効かぬ相手には試合に応じなかったという話もあります。(VS国井善弥)
       これは国井善弥の実力ということでなくあくまで術合戦をしたい植芝師が、技合戦希望の国井師に応じなかったということです。 

       つまり常に先をとり、策をめぐらせ、勢いにのまれず出る。技は返し技に見えて誘い技のごとく使う、機をみつけるにあたって瞑想をし、その先に柳生連也(注)のいう機を自在に操り、不意打ちにも大丈夫な境地、無想剣の世界が待っていることでしょう。


      (注)江戸時代の柳生新陰流剣術達人

      参考文献・日本武術神妙記 、五輪の書(火の巻)

       
      | 古武道に関すること | 21:29 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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        追記 柳生連也の話、究極このようになりたいものですね。瞑想によって心を磨くと・・・このように(笑)        連也の高弟のうちに松井某といふものがあつて、連也は中年以後碁を好んでこの男と碁を圍んで樂しんでゐたが、碁の方では松井の方が數目強かつた、この松井は散々我が師をためさうと心懸け、或日、又碁の對手となつて非常に師を惱まし、連也は苦心惨澹盤面を見つめ工夫を凝らしてゐる、この機逸すべからずと竊に盤の陰で拳を固めると連也がヒヨイと顔をあげて松井を見たので、松井は素知らぬ顔して拳を解いたが連也が顔をあげたのは此方の意思を悟つたのであるか或は偶然であつたのか判然しないから松井は今一度試さうとわざと連也の石の置き方を非難して又困らせて置きながら、
         「まだお考へがつきませんか。」
         と催促し、拳を固めあはや拳が盤の側面から躍り出さうとする途端、連也は忽ち反身になつて、 「オイ串戯〔ぜうだん〕はならぬぞ。」
         と云つたので松井は悟られたと思つたか、
         「イヤ、ナニ。」
         とごまかしながら更に碁を打續けたとのことである。
         その後一年餘、もはや連也が前のことを忘れたであらう時分――秋草を賞する爲に連也は俳諧師並に門弟二三を連れ松井もその中に加はり、野遊びに出かけた、程よき場所に辨當を開き皆々そこで火を焚き食事の用意などをしてゐる、連也は川の方に行つて何氣なく小便をしてゐる、その隙を見た松井は今日こそと連也のうしろに忍び寄り、力を極めて連也の腰のあたりに突きかけたが、ヒラリと横へかはされた爲に松井は空を突いて川の中へ飛び込んでしまつたが連也は平氣で小便をしてゐる。
         後で一行はなぜ川の中へ飛び込んだのかわからない、連也から、
         「また串戯をしたな、もうやめぬか。」
         と云はれたので事が露顯し、狂歌や狂俳の材料となつていゝもの笑ひに供された。
         連也がその後松井を呼んで云ひきかせることには、
         「その方が度々余を試さうとするのは武藝の眞意が分らぬからである、立合には相方の間に必ず機といふものが生ずる、その機に乘ずることは勿論だが、機に乘ずるといふだけでは未だ足らぬ、その機をこの方で自由にするやうにならねばならぬ、武術が上達すれば機は我から開くことが出來る、我から開くといふのは敵をわが思ふ壼へ惹きつけるのである、また事には「きざし」といふものがある、これは機といつてもよいのであらうが機よりも今少し早く極めて微妙なものである、其方が碁を打ちながら余を打たむとした時も、川端で突き飛ばさんとした時にも、その日其方の顔を見た時に、今日は何かやるなと悟つた、これが即ち「きざし」で其方の心の動きが顔にあらはれて余の心に響いたのである、尤も突き飛ばさんとするを交したのは術であるが、既に何かするなと悟つた上十分に氣を附けてゐるから其方は不意に出る積りでも此方では不意でも何でもない、元來心は恰も鏡のやうなもので不斷曇らぬやうによく磨いて置けば他より來る事が善惡共に我心の鏡に映るものである。」
        (楠正位氏著「武術系統講話」)
        | H師範代 | 2012/01/18 12:53 PM |

        合同稽古でのレクチャー内容ですね!ありがとうございます!
        | 志舫☆ | 2012/01/18 8:00 PM |

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